こんにちはキヨスイです。
こちらの記事は、超有名映画批評サイト「超映画批評」の批評を批評していこうという内容です。 映画、批評に対して得点も付けていきますので参考にしてください。
得点表はこちらの記事に記載されているのでご確認下さい。
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今回の映画はこちらになります。
セッション
ご存知の人も多いかと思います。
あらすじ
第87回アカデミー賞で5部門にノミネート内、助演男、優賞編、集賞録音賞を受賞。 主人公アンドリュー・ニーマンは19歳の天才ジャズ・ドラマー。その才能を認められ、アメリカで最高の音楽学校「シャッファー音楽学校」へと進学。 バディ・リッチのような偉大なドラマーになるという夢に向かって死に物狂いでドラムを叩く。が彼も年頃の大学生。人並みに恋愛にも憧れ、映画館で働いている大学生の二コルに恋をする。 そんなある日、ニーマンの教室にシャッファー音楽学校最高の指揮者、テレンス・フレッチャーがやってくる。フレッチャーはニーマンの才能に惚れて、彼をシャッファー最高峰である自身のスタジオ・バンドに招いた。このオファーにはニーマンも有頂天。同時にニコルとも交際も始まり、華々しい大学生活が待っているかのように思えた。
キヨスイの批評 99点 (100点満点中)
限りなく100点に近い映画を見ました。
僕は公開されてすぐ見なかったので、僕の中の去年No,1映画は「アメリカンスナイパー」だと思っていました。 しかし一瞬にして悩むこともなく「セッション」に塗り替えられました。
デイミアン・チャゼル監督は今年で31歳。去年30歳の人生の折り返しに立ったところだ。折り返し地点で、こんな素晴らしい作品を作ってしまったら今後の映画監督人生が心配になるほどの出来栄え。
世の中では強く接してくる人をSなどと呼ぶが、その程度の表現では全く当てはまらない鬼教官テレンス・フレッチャー。事実だったらニュースになるほどのスパルタ指導。いやドラム虐待とでも言っておきましょう。
こんな人世の中にいるのかと考えた時、自分が少し当てはまってしまった。僕が発達障害のパートナーに与えるハードルの高さはこれに近しいものがある。このことのおかげで、感情移入がとまらない。
同時に僕は、主人公ニーマンの立場でもあるので、終始感情移入しっぱなしだった。 本当に最上級の映画だ。 ここまでの狂気を見せられると、成功には努力が必要なのか才能が必要なのかそれとも取り憑かれたような固執が必要なのかわからなくなってくる。
ただビートルの様なレジェント達にはこの狂気は必ずあったのだと僕は確信している。なぜなら、この映画の登場人物とビートルズの曲たちには同じ熱量を感じるからだ。 終始見せ所ばかりの映画だが、群を抜いての見せ所は、トレーラーにも書いてあるラスト9分19秒は飛び上がってしまう衝撃だ。
書いてあっても、もしネタバレしてもとにかく飛び上がるに違いない。僕は、飛び上がった。こんなに体も心も飛び上がった映画はいつぶりか思い出せない。 デイミアン・チャゼル監督は、映画監督としては若手なのでこれからどんどん世にいい作品を生み出してほしい。
セッションを超える映画を作ったらおそらく僕の人生で一番の映画になるだろう。
渋谷のアップリンクで明日13:10に上映するので、映画館で是非見て頂きたい。 http://www.uplink.co.jp
残念だが、行けない人はBlu-ray,DVD出てます。買って損ないです。レンタルも出ていると思います。
前田さんの批評を批評(抜粋して批評していきます。)
98点(100点満点中) 怪物の覚醒
やはり点数高いですね。僕と1点差違い。怪物の覚醒とはいいタイトルです。
85年生まれのデイミアン・チャゼル監督はまだ30歳だが、とんでもない傑作を叩き出したものだ。ドラマーを目指していた自らの体験をもとに、鬼教師とそれにくらいつく若者の異様な人間関係を、見たこともない緊張感と不穏さでまとめあげた。
監督のこと述べてますね。ほぼ僕の批評を同じ感覚ですね。見たこともない緊張感と不穏さでまとめあげた。という表現がすごい上手です。見たくなりますね。 これでも言葉が足りないくらいの映画ですからね。
映画通りの体験をしたはずはもちろんあるまいが、サディストという言葉ですら生ぬるい、異常者の域に達した鬼教師がかもしだす空気は、体験したものならではのリアリティということか。 そういう、理屈では説明できない迫力というものがこの映画には存在する。それは極端に言えば、最初の数秒から伝わってくる。「俺はどうやら、とんでもない映画の上映館に足を運んじまったみたいだぞ」と。 それは、宣伝コピーが自慢する「ラスト10分間の衝撃」までゆるむことはない。この結末がまた凄いもので、「巨人の星」的スポ根映画の枠に本作をはめようとする、あるいはすがるようにそう願うすべての観客を崖から平然とつき落とす。 予測はもちろんできないし、かといってそれを裏切られた驚きだけでもない。いったいこれはなんなんだと、呆然とさせられる幕切れである。
サディストじゃ言葉ぬるいですよね。フレッチャーは異常者ですもの。「俺はどうやら、とんでもない映画の上映館に足を運んじまったみたいだぞ」そうです。あなたはとんでもない映画の上映館きちゃってます。
最後の崖から突き落とす以降の文面は驚きの連続だと僕は感じます。驚きすぎて、思考が裏切られたにいけない。呆然の幕切れなんですが、僕は最後にフレッチャーの本当の気持ちがわかったので。嬉しかったです。嬉しさだけが残って映画が終わりました。
このフレッチャーの最後の気持ちがわかるとこの映画の楽しさが、2倍くらいになります。ここを前田さんは理解していてこれを書いているのか?採点の1点差はここに出ているのかもしれませんね。
もっともこの映画で描かれている事柄は、決してリアルなものではないだろう。ここにあるのは努力だの才能だの、世間の生ぬるい論評をすべて超越した狂気である。超一流の人間は、これくらいであってほしいねと我々凡人が願うファンタジーだ。 だから普通の人たちにとって生き方の参考になる部分はないというか、真に受けたら心を病んでしまう恐れすらある。 逆に、この異常世界をみて万が一にもモチベーションがあがった若い人たちがいたなら、迷うことはない。あなたはトップの世界を目指すべきだ。普通よりは高い確率で、そこに近づくことができるだろう。
ノンフィクションではないが、リアルなものではあると思います。僕はファンタジーとは一切感じませんでした。人間は様々な分野で、こういう人たちがいるお陰で発展していけるのです。
ただ、僕の顔見知りのドラム講師の方々は、セッションは全く理解できず、楽しめなかった様です。ファンタジーと感じてしまったんでしょうね。ただこの人たちは講師であってアーティストではありません。フレッチャーとニーマンはアーティストなのです。 と百歩譲ってみても、あの熱い気持ちがわからないのは理解に苦しみます。
ドラム講師の人たちも元々は、いちドラマーだったはず。 前田さんの本心はどちらなのか気になります。批評だからファンタジーと書いたのか。本当にファンタジーだと思っているのか。 僕はこれは、間違いなくファンタジーなんかではないと確信しています。
そんなすべての聴衆レベルの人たちを、「セッション」は大いに満足させてくれるだろう。そして、これをわずか28歳(撮影当時)で作ってしまうのだから、このファンタジー世界で描かれるような天才だって、たしかに現実にもいないわけではないのである。
「いないわけでもないのである」本当に鼻に付く表現。先ほどは、ファンタジーと言っていたのに。 いないわけじゃなくて、フレッチャー、ニーマン両者の立場でここまでの狂気の人それぞれいますから。