キヨスイ(@kiyosui_goraku)です。
発達障害者ではない僕が発達障害の記事を書いている理由を明確にしておきます。
当ブログでは、発達障害の相方に直接言えばいいようなことも記事にしています。
これには色々と理由があるのです。
発達障害の記事を書く理由。
僕が発達障害の相方とのことをブログ発信している理由。
— キヨスイ@仮想通貨トレード (@kiyosui_goraku) 2017年10月22日
・相方に伝えるという意味。
・僕と同じ境遇の人の役に立てば。
・ブログネタにして生産的なものに変換する。
・あとで自分で読み返す。
こんな感じですね。
この4点が発達障害の記事を書く理由です。
『僕と同じ境遇の人の役に立てば』と『ブログネタにして生産的なものに変換する』の2つは説明不要で伝わるかと思います。
もっとも重要なのが、『相方に伝えるという意味』と『あとで自分で読み返す』という2点。
ブログ記事にすることで、この2つが機能するというのは僕らにとってとても有意義なんですよ。
相方に伝えるという意味。
僕の相方は、このブログを読んでくれています。
ここに書いてあることは80%くらい目を通しているでしょう。
だから、直接的に言わずにブログで伝えるという手段を取ることで、お互いの時間を合わせて使わないで済みます。
もちろん、会って話をするということで大きな成果を生み出すことがらもあるんですが、発達障害者が相手だと必ずしもそうではない。
例えば、カフェで僕がブログに書いてあることを相方に話をしたとしましょう。
カフェが混雑していて、ざわついてる場合。ADHDとアスペルガー症候群である彼のインプットは良い状態なのか?
と考えるとおそらく悪い状態の確率の方が高い。
僕が一方的にブログで書いておけば、彼は好きな時に好きな場所で読んで話をインプットすることができます。
僕自身も彼に何かものを言うということで、お互いわざわざ時間を取らないで済む。
まさにwin-winの状態なわけです。
「会話で伝えないと雰囲気が伝わらず誤認識されたりしない?」
と疑問を持つ人はいるかと思います。
アスペルガー症候群の彼はもともと雰囲気を掴むことができません。
だから、ブログだろうが会って話をしたときだろうが、誤認識するときはします。
ってか基本的に誤認識がデフォルトなので、会話することとブログでの差はほとんどありません。
ブログ記事で伝えることによって、時間的余裕がお互いできるので圧倒的にこちらの方が生産的と僕の経験で踏んでいます。
発達障害者と深く関わる人はブログから伝えるという手段はかなり有効なので、やってみてください。
ここまで読んで、もうひとつ懸念事項があると感じている人はいるでしょう。
それは、僕が間違ったことを書いている、またはどういう意図で僕が書いているのか全く相方が理解していない。
この2つが懸念事項になります。リアルタイムでの質問ができなくなりますからね。
これは、簡単で会話をした時に話せばいいだけの話。
ブログだけのコミュニケーションではないのが大前提なので、ここもクリア。
ブログから相手に伝えるということは、ものすごく有効です。
あとは、それを世に公開するのが嫌か嫌じゃないかって話なだけですよ。
直接言っても無駄だという事実。
あらゆることの「気づき」というものは、人間みんな自分が納得しないと吸収は難しくなってくる。
— キヨスイ@仮想通貨トレード (@kiyosui_goraku) 2017年10月22日
誰かに一方的に教えられても、意味がない。
だから、いっくら話をして教えても自分自身で気づきが出てこないとわからないままなんですよね。
行動レベルには落とし込まれない。
単純に無駄なんですよ。直接言ってもね。
発達障害者って括りで言っていいのかわからないけど、まぁ、話を聞かない。
「話を聞く」ということを本当に「話を聞くだけ」って思っているんですよ。
だから直接言っても行動レベルに落としこまれることは、そうそうありません。
記事にしておいて、後で読み返してもらったりして自分で「気づいてもらう」しかないんですよね。
問題視された事柄も自分ルールで構築されないと、どうにもなりませんしね。
関連記事:アスペルガー症候群の理解のしてもらう方法。自分ルールを与えろ。
僕が直接、声に出して忠告することって本当に無駄が多いんです。
言ってしまえば、どんどん痛い目合えば良いって思ってます(笑)
発達障害者だけではなく、気づきというのは人から教えてもらえるものじゃないです。
僕から見るとそこが定型発達者より、ハードルが高いイメージなんですよね。
だから直接言っても無駄なんで、一方的に投げておいて勝手に気づいてもらうのが良い。
全て自分の口から言ってたら時間も足りませんからね。
関連記事:発達障害者と50%以下の時間で接することにします。カサンドラ症候群にならない一番の策かも。
本とかもそうだしね。
あとで自分で読み返す。
記事にしておくことで、自分の思考を読み返すことができます。
これは本当に良いことで振り返りが簡単にできるんですよね。
振り返っていって自分のどこで間違いをしていたのか?ってのが一目瞭然です。
また相方側も僕の記事を読み返すことができるので、「前に言われてたことなんだっけ?」ってなっても記事を検索かければいいだけです。
間違っていれば、リライトするし間違えてなければあの時に考えてたことは間違えではなかったんだなってなるだけ。
残りの2つ。
一応、残りの2つも説明しておきますか。
『僕と同じ境遇な人』いるでしょう。だいぶレアな存在だと思いますが。
親子でもない、兄弟でもない、恋人でもない。でも深く関わっている人。僕のような立ち位置の人はかなりレアなので、相談できる人も少ないはずです。
このブログを読んで何かヒントを得てくれれば嬉しい限りです。
『生産的なものに...』
こちらは、多くがお金ですね(笑)記事を書くことでお金が入ってきます。
発達障害者の行動にイラっとして「殴ってやろうか?コイツ?」ってなっても記事を書くことで生産的な行動を取れるので、成仏されます。
記事を書くことで、イラつきもどっか行ってくれることすらある。
ブログ記事にすることで、何度怒りを抑えられたことか。本当にブログ始めて良かったわ。と感じる瞬間です。
最後に
僕が発達障害者との日常をブログに晒している状況はこういったことが理由ですね。
晒さないでもいいようなこと、記事にする価値すらないことも客観的に見ていたらあるかもしれませんが。
僕らにとっては大きなログです。
非公開でやればいいんじゃないか?という声も聞こえてきそうですが、そこは僕らの勝手なわけで。
そんなこんなで、今後とも記事にしていきますので、どうぞよろしくお願いします。
それでは、また。