出典:www.youtube.com
ども!キヨスイ(@kiyosui_goraku)です!
ヒットの崩壊を読んで、小室哲哉さんのお話がちょいちょい出てきて興味出たのでプロデュース関連をまとめておきます。
小室哲哉の経歴
幼少期から、ヴァイオリンのレッスンを始めていた小室哲哉。この時に音感の基礎を学んでいます。
小学生の頃には、クラシックのインスト曲を作曲したいたとのこと。小学5年生の時に母がエレクトーンを購入したことが鍵盤楽器との初めての出会いになる。
母より先にコードを覚えてしまい、エレクトーンの先生をも驚かせたというスーパー小学生だった。同時期にギターコードを学びそっこうでマスターしたとのこと。
1986年に渡辺美里に提供した「My Revolution」が日本レコード大賞で金賞を取る。その後1987年にTM NETWORKを発表する。代表曲「Get Wild」で一躍人気バンドになり、NHK紅白歌合戦に出場を果たす。
1994年にTM NETWORKを解散。その後、プロデュース業に専念し「観月ありさ」「篠原涼子」「trf」「hitomi」「内田有紀」「H Jungle with t」「dos」「globe」「華原朋美」「安室奈美恵」などをプロデュースする。
世代やジャンルを超えたプロデュースは、ミリオンセラーの楽曲を大量生産することに成功。ちまたでは「小室ファミリー」と呼ばれるほどムーブメントを起こした。
現在は、「AAA」に楽曲提供や「Def Will」をプロデュースするなど精力的に活動をしている。
小室哲哉のプロデュースをまとめておくよ。
90年代初頭から98年の宇多田ヒカルさんが出てくる少し後まで『小室ファミリー』と呼ばれている時代があったのを覚えていますか?
20歳くらいの人は、わからないかもしれないが...代表的な小室ファミリーが下記の人たちです。
TRF(Tetsuya komuro Rave Factory)
観月ありさ
篠原涼子
globe
内田有紀
安室奈美恵
hitomi
H Jungle with t
dos
華原朋美
H.A.N.D.
大賀埜々
天方直実
L☆IS
鈴木あみ
Kiss Destination
Ring
トーコ
未来玲可
ここから更に代表的な人たちをピックアップしてまとめておきます!代表的な人たち+僕の好みって言った方が正しいかな(笑)
TRF
日本でバンドブームが終わり、小室哲哉プロデュースの元『TRF』というユニットが出てきました。
ユーロビートとJ-popの融合ですね。小室さんは、ユーロビートは日本人に向いているというのをいち早く察知して世に送り込みました。それが大ヒット。
この曲はとにかく記憶に残る曲として大ヒットしました。
こちらの曲もロングヒットしましたね。
未だにカラオケなどで歌われる機会は多いんじゃないでしょうかね。
この後、「Survival dAnce 〜no no cry more〜」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」とTRFはヒット曲を立て続けに出します。すべて小室哲哉プロデュース。
5作品連続のミリオンヒットを記録しているんですよね。ミリオンヒット...今や死語になってしまった言葉。これもヒット作品が崩壊してしまった影響ですね。
篠原涼子
わかりやすいと思うんで、アンフェアの写真でも貼り付けておきます。今や女優として活躍するこの方!元々は小室ファミリーでした。
「篠原涼子 with t. komuro」でリリースした「恋しさと せつなさと 心強さと」がめちゃくちゃヒットしたんですよ。
リリース初登場はオリコンランキング20位でした。決して大ヒットという成績ではなかったのですが...タイアップ!「Street Fighter II: The Movie」という映画のタイアップがかなり効き目あったんですよ!
当時は、『良曲×タイアップ』というヒットの定義がありました。この影響で200万枚以上のセールスを記録!
日本のレコード賞もほぼ総なめ状態でした。
- 1994年『第36回日本レコード大賞』優秀賞を受賞。
- 1994年『第27回日本有線大賞』有線音楽優秀賞を受賞。
- 1995年『第9回日本ゴールドディスク大賞』 ベスト5・シングル賞を受賞。
もちろん篠原涼子さんは紅白にも出場。完全にムーヴメントを起こした1曲です。
globe
globeくらいから、平成生まれの人も知っていますかね?今も活動しているので知っている人も多いはず!
小室哲哉さんのメインユニット的な立ち位置です。中田ヤスタカさんで例えるとCapsel的なやつです。
1995年にデビューしたユニットです。この時に小室ブームはもう来ていましたので、デビューアルバムの「globe」は400万枚売り上げました。「DEPARTURES」なんかは、ダブルミリオンとか呼ばれてたかな?
もうカウントダウンTVとか音楽番組とかのランキングでずっといるんですよ、何週間も。しかもランキング内に数曲あるという現代では考えられない現象です。
「DEPARTURES」がこれね。
90年代にメガヒット曲を多数リリースして、2003年から活動休止状態になります。その後、小室哲哉さんが詐欺に遭うとか色々あって復帰したんですけど...
ボーカルのKEIKOさんがクモ膜下出血により精力的には活動はできていません。解散はしていませんので今後、活動を再開することもあるかもしれません。
2013年にはKEIKOさんが居なくてもできる活動をしっかりとやっているんですよね。globeを消さないために。
それがこの作品。
globe EDM Sessionsというものです。今までのglobeの曲をEDMマナーでリミックスされたもの。もちろんメガヒットした「DEPARTURES」もリミックスされて収録されています。
今30代、40代の人はglobe大好きだったと思います。KEIKOさんの病気が良くなることを祈り活動再開を待ちましょう!
H Jungle with t
95年あたりに「HEY HEY HEY」というダウンタウンが司会をしていた音楽番組を覚えていますか?
この時に「俺もプロデュースしてください」と浜田さんが小室さんに頼んだことから生まれたユニットが「H Jungle with t」です。
ちょっと脱線しますが、そう考えると浜田さんってすげぇんだよね。
- 小室哲哉
- 槇原敬之
- 中田ヤスタカ
時代を代表する音楽プロデューサーに節目節目でプロデュースして楽曲をリリースしているんですよね。これは本当にすごいです。プロの歌手でもなかなか無いこと。
浜田さんを一番最初に音楽プロデュースしたのが小室哲哉さんで、先見の目があるなーという。
浜田さんからの依頼があって、このユニットの作曲を優先させたことによってglobeのデビュー時期がずれたという逸話もあります。
「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」は200万枚を超える大ヒット曲になりました。
最近、「AOA」という韓国のアイドルグループにもカバーされています。
オリジナルのyoutubeがなかったので、オリジナル聞きたい人は音源をどうぞ。
安室奈美恵
今や日本を代表するポップスター安室奈美恵さんも小室哲哉ファミリーでした。
SUPER MONKEYSからソロ活動転身して、スターになれたのは小室哲哉さんの力があったからと言っても過言ではないです。
現代でいうとPerfumeと中田ヤスタカさんみたいな関係性?っていうとわかりやすかな?安室奈美恵さんはアイドルではないですけどね。
シングルでリリースした「Chase the Chance」がオリコン初登場1位を獲得!もちろんミリオンセラーを記録。そして紅白歌合戦に出場!と完全に安室奈美恵さんをブレイクスルーさせた曲です。
この後にリリースした、「Don't wanna cry」「You're my sunshine」「a walk in the park」らもミリオンセラーを記録します。
安室奈美恵さんは90年代中期のファッションリーダーとして若者にかなり指示されるんですよね。そして『アムラー』という流行語が誕生します。
極め付けはこの曲「CAN YOU CELEBRATE?」がドラマとのタイアップもありメガヒット。
最近ではあまり使われることが減りましたが、90年代後半から00年代初頭まで結婚式で必ず流れる曲になっていました。
2001年に小室哲哉のプロデュースを離れます。ここが安室奈美恵さんの人生を決める選択だったでしょう。
離れるタイミングとしては、ほぼベストでした。今の安室奈美恵さんが居るのはここの選択が大きいでしょうね。
華原朋美
この人も小室ファミリーの代表的な存在でしたね。色恋沙汰もあって色々と苦労したみたいなんですけど、プロデュースと関係ないのでちょっと置いておきます。
1995年から1998年まで小室さんにプロデュースしてもらっています。意外と短いんですよ。もっと長く感じません?
ミリオンセラーを記録した曲は2枚目のシングル「I BELIEVE」です。立て続けに3枚目のシングル「I'm proud」もミリオンセラーを記録。
この2枚のシングルで女性トップシンガーの仲間入りを果たしました。その後ファーストアルバムは300万枚という大ヒットを叩き出します。
女性中心に高い指示を集めて、アムラーと同様にカハラーという言葉が誕生したほど指示されていました。
1999年に小室哲哉さんのプロデュースを終えています。
dos
めちゃくちゃ短期的な活動をしたユニットだったので、情報が少ないですが僕の記憶に強く残っているので紹介します。
このメンバーで芸能界に生き残っているのはカバちゃんだけかな?
元々、アメリカで「TLC」が流行っていて小室さんが日本版のTLC的なユニットを作りたいということから結成されました。
代表曲は「baby baby baby」という曲です。タイアップで資生堂「ティセラ」のCMで流れていました。オリコン初登場4位を記録。
dosは安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」を本当は歌うはずだったらしいですが、小室さんがこの曲は安室ちゃんが歌ったほうが良いという判断で、変わってしまったとのこと。
たまテレビ番組でカバちゃんがお話しているの知りませんか?
結局、結成から1年で自然消滅という形で解散しています。
鈴木あみ
最近、結婚した鈴木あみさんです。彼女もデビュー当時は小室ファミリーでした。
知っている人も多いはず。最近ですとDJ活動なんかもされていますよね。
1998年にナインティナインが司会と務めていた「ASAYAN」という音楽オーディション番組で発掘された女性シンガーです。
当時「あみ〜ゴ」 という愛称で若者から絶大な指示を受けていました。ファーストアルバムの「SA」は180万枚のミリオンセラーを記録。
その後、シングルリリースされた『BE TOGETHER』と『OUR DAYS』はオリコン週間ランキング1位を獲得。のちに『BE TOGETHER』は鈴木あみさんの代表曲となりました。
時代を超えて中田ヤスタカさんによりRemixされています。
今聞いてもいい曲ですね。鈴木あみさんは自身のDJの際にもこの曲を良く流すことがあるとのこと。
2002年に活動休止をしています。
宇多田ヒカルさんの出現が終焉
だいたい、活動休止や小室哲哉さんのプロデュースが途絶えている年を見ていただければわかると思いますが、98年に宇多田ヒカルさんが「Automatic」で登場した少しあとに活動が途絶えています。
小室哲哉さん自身も言っていましたが、宇多田ヒカルさんの登場が小室哲哉プロデュースの終焉を迎えました。
時代が変わった瞬間ですね。「Automatic」の影響でR&Bがガンガン流行ってくるんですよね。ユーロビートが廃れるんです。こういったエンタメものは流行り廃りがあるのでしょうがないことですが...
宇多田ヒカルが出現したあとに「倉木麻衣」「平井堅」と今までと違うアーティストがバシバシ売れていきます。
さらに「BUMP OF CHICKEN」「ドラゴンアッシュ」と新感覚なバンドまで出てきて完璧に時代が変わってしまうんですよね。
この後は、ジャニーズ勢がオリコンを独占して(嵐、SMAPなど)アイドル戦国時代に突入します。
ジャニーズ勢がオリコンを独占しはじめるところから『ヒットの崩壊』が始まっています。アイドル戦国時代なんてヒット曲が何なのかわかりませんからね。
AAAへ楽曲提供
小室哲哉さんのプロデュースをお休みしていた時は楽曲提供をしていました。
少し前のものですが、「AAA」に楽曲提供をして初登場オリコン1位を獲得しています。
「AAA」のライブに参加してピアノ演奏も披露したそうです。
Def Willをプロデュース
Def Willという女性5人のグループを小室哲哉さんがプロデュースしています。
K-Popがバックグランドに見え隠れする楽曲ですね。こういったものをすぐ出来てしまうのは小室哲哉さんの能力の高さが見えます。
現代版TRF的な立ち位置までいけると面白そうですね。このK-Pop的な楽曲だとちょっと天井が見えているとは思うので、最新の音楽を取り入れた小室哲哉さんのプロデュースが今後楽しみです。
ツイッターでの評判は上々みたいですね。
@Tetsuya_Komuro
— Tetsuya Fan (@Tetsuya_fan) 2016年11月21日
Def Willのlovely day
お気に入りです😍
新曲 期待してます⤴️
どうしようDef Willのこの曲大好きだ
— テノヒラニフタツノホクロ (@classicmoment25) 2016年10月11日
ぶれんなぶれんな!#nowplaying "Lovely Day" by Def Will via @AWA_official
https://t.co/b1Jwhou1Ra
▼小室哲哉さんの作品
マツコの知らない世界に小室哲哉さん出演しました。
2017年1月10日の「マツコの知らない世界」に小室哲哉さんが「小室哲哉のプロデュースの世界」で出演していました。僕が印象に残った部分だけ記載させて頂きます。
華原朋美の「I'm proud」
マツコさんが大好きな曲、I'm proudについて語っていました。マツコさんは「ゴージャス感」がすごいと賞賛。
小室哲哉さんは、ヒットの理由は「セレブ感」を狙ったと言っていました。当時のマライヤキャリーを意識してプロデュースしていったそうです。
当時、どハマりでメガヒットしてしまったため、次に書く曲が本当に大変だったと語っていました。
篠原涼子は女優になれると思ってた。
小室哲哉さんは、篠原涼子さんが女優になれると思ってたらしいです。当時、歌を歌っていた彼女を見て何かになりきることができる人と感じていたらしく。
このまま女優業に転向するようなということをぼんやりと思っていたみたいです。案の定、篠原涼子さんは今や日本ドラマには欠かせない女優の一人になっていますね。
プロデュース業から身につけた選球眼というのでしょうか。1億7000万枚以上のCDを売ったプロデューサーはやっぱり違いますね。
ライバルはつんく♂
小室哲哉さんのライバルはやはり、つんく♂さんでした。
共通項が多く、意識をすることが多かったみたいです。当時つんく♂さんが出していた『しょっぱさ』がなかなか出せず、自分にはこれは出せないなと感じたようです。
つんく♂さんもモーニング娘から日本を代表するプロデューサーになりました。どうしたって意識してしまうのは仕方がないことですよね。
小室哲哉さんの成功の秘訣は良いライバルを持ったこともひとつの要因かもしれません。
引退を考えたアーティストは宇多田ヒカル
当時のことを振り返り、こう語っていました。
「もうね…新しいなって思いまして」「あとはネイティブっていうか生まれた時から英語っていうので敵わないなって思って(笑)」
automaticが何がautomaticなのか?全く理解ができないらしく、作詞の概念が変わったと認識したらしいです。音楽業界でここまでコテンパンにやられたのは初めてと言っていました。
自分に出来ないことで理解ができるものはあったが、全く理解できないものというのは初めてだったんじゃないでしょうか。
20年近くも前のことをつい最近かのように語っています。それだけショックだったんでしょうね。
最後に
マツコの知らない世界はこんな感じでした!印象に残ったところを抜粋して書いたので、詳しく知りたい人はDVDが発売されたら買ってみてくださいね!
でわ!