キヨスイ(@kiyosui_goraku)です。
引っ越しの関係で久しぶりに1時間以上の車の運転をしました。
僕は車の運転が嫌いなんですけど...
今回久しぶりに運転してみて、いい面もあることに気づいたところ。
運転が嫌いな理由。
まず僕が運転が嫌いな理由でも話ておきますか。
ここ数日間、アンチ車の運転!
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
だったんですが、久しぶりに長距離を運転していい面も見えてきました。
僕が車が嫌いなのは「絶対に事故るから」という点ですね。
小さい事故から大きな事故まで起こしたことない人ってみたことないじゃないっすか。ペーパー除いて。
事故ですね。運転していれば、絶対に事故る。
これ僕の持論であります。ペーパードライバーを除いて、運転している人で事故った事ない人って会ったことないじゃないっすか。
ガードレールに擦るレベルの小さい事故は、必ずみんな体験していると思うんですよ。
この事故ってガードレールに擦る事故も人身事故も起きる可能性というのは、大きな差はないと考えています。
今年早々、僕事故ってますしね。
関連記事:新年早々、事故りました。事故理由と対策を考えてみた。
運転者の誰もが運転した瞬間に一発アウトの人身事故を起こす可能性を秘めていると言いたい。
これってめちゃくちゃプレッシャーに感じるわけで、というかプレッシャーを感じない人は運転しちゃダメだと思うんですよ。
この運転を何時間もするって超過酷じゃないっすか?
しかも運転中は何もできませんし...ツイッターですら、つぶやくことができない。
プレッシャーに拘束されているイメージしかないんですよ。
だから、運転は嫌いなわけです。
事故の可能性は自分の力で抑えることができてもゼロにすることはできない。
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
後ろから突っ込まれたら終わりですからね。
あと一瞬の気の緩みが人生を詰む事故になりかねないから、運転は嫌いです。
車は本当に便利なものですが、好きになれなかった。
もちろん、事故の可能性は自分の力で抑えることができます。
だけど、自分の力だけではゼロにできないのが運転というもの。
いやぁ...本当にいやだ。
僕の運転嫌いは伝わりましたかね?
運転の良いところを見つけられた。
少しだけ好きになれました。たまになら運転してもいいかなって感じまで好きが向上。
そんな車嫌いな僕が、少し好きになれたのが「思考」という部分。
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
坐禅組んでいる時とも違くて、ボケっとしている時とも違くて、カフェにいる時にも違くて、車を運転している時にしかできない思考があると気づいた。
言葉にするの難しいんですけど、運転中の脳の使い方っていつも違う感じがします。
車を運転している時の思考でネタが思いついたり、他のことで発想が膨らんだりしているのは、久しぶりに乗ってビックリしました。
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
助手席に乗っている時は起きない感じなんですよ。
脳の感覚が他のことをしているときにする思考法と全く違う感じがするんですよね。
誰か知ってます?
思考の感覚が今までの生活と全然違うものでした。
全然違うアイディアが浮かんでくるというか...説明しにくいんですけど、運転者でわかる人いたら共感していただきたい。
今まで思考が膨らむタイミングはこんな感じだったんですよ。
・坐禅の時の雑念。
・洗い物中。
・寝そうな瞬間。
・起きそうな瞬間。
・ジムで走っているとき。
これらの感覚と全く違う感じで、思考ができたんです。
これ初めての体験じゃなくて、運転する回数が減っていて忘れてたというのが正確なんですけどね。
上記のものと決定的に違うのが、頭に浮かんでくるものがより、クリエイティブなものだったということ。
上記のもので、クリエイティブな発想が出てこないと言うわけじゃないんですけど、運転中は全てがクリエイティブな発想だったってのが大きな違いですね。
運転しながら、驚愕でした。
こういった細かい自分の変化に気づけるようになったのも、完全にブログの影響ですね。
VRなんかで補完できないかな?
この感じが心地よかったので、車をバンバン乗り回すぜ!
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
みたいなことにはならないんですが...
車の運転をしなくても同じ効果が現れるものってないのかな?と考えている。
例えばVRでカーゲームとは言わないけど、より実際に近い運転ゲームみたいなものがあって使ったら近い感じになるのかな?
コッテコテのカーゲームじゃなくて、もっと一般的な道路のゲーム。
電車でGOくらいの緩い感じというか、教習所に置いてもいいんじゃない?っていうゲーム的なやつで擬似体験できないかな?
そしたら、リスクを背負わずに思考ができる。
ただ、リスクを背負っているのが脳に対して良い緊張感を与えているので、あれば意味ないけど。
VRくらいのリアルさだったら、脳が錯覚してリスクを勝手に背負うんじゃないかな?とも考えています。
お台場のVRはめちゃめちゃリアルでしたからね。
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自動運転が普及したら、こういった機会も失われる?
自動運転が普及するのはすごく楽しみなんですが、こういった思考法が失われるのかな?と新たな心配事が。
— キヨスイ (@kiyosui_goraku) 2017年10月7日
脳科学的に運転しているときの脳ってどうなっているか?って解明されているはずですよね?
知識不足で全然わかりませんが...
ちょろっとネットで調べてみようかな。
人間の未知の領域的なものが失われてしまうのは、もったいない話。
僕は基本的に自動運転が早く普及してほしいと考えている人間ですが、今回の質の違う思考がなくなるのは非常にもったいないかと。
ネットで調べてみたところ、検索ワードが悪かったのか全然情報なかったです。
脳科学系の本を片っ端から読んでみないとダメっぽいですね。
どなたか良い本を知っていたら、教えてくださると嬉しいです。
最後に
運転嫌いな僕が、少しだけ運転を好きになれた話でした。
最近、実家に引っ越してきましたので車を運転する機会が増えるでしょう。
事故には気をつけて、運転を楽しんでいきたいところですね。
それでは、また。